3カ月ほど前、サケで有名な十勝地方の港で、こんな経験をした。
肌寒い風が吹きぬけたとある午後、岸壁で釣り人がぽつんと一人、サオを出していた。年は30そこそこ。Tシャツの上に薄手のジャンパーをはおっただけの姿は、6月の十勝にしては明らかに薄着だった。釣れてますか?と彼に声をかける。すると「何が釣れるんですかね?」と逆に聞き返されてしまった。
彼は地元の人間ではなかった。ついこの間まで岩手に住んでいたという。彼は東日本大震災の被災者だった。「何もかも津波に流され移住してきました。この港には詳しいですか。今は何が釣れるんでしょうか?」。見知らぬ土地に来た不安が、言葉の抑揚や何気ない仕草ににじみ出る彼。切実な問いに真摯に答えようと思い、薦めたのがサケ釣りだった。すると生気のなかった彼の瞳が急に輝きだす。「えっ、サケってあのサケですか! 本当ですか? 一体どうやって釣るんですか?」。そんなわけでサケ釣りの初歩的なノウハウをレクチャーしたのだが、一通り説明したところでふと不安が頭をよぎる。なにしろあのサケ釣りである。胸を張って人に勧められない暗部、あまり人に知られたくない恥部みたいなものを、この釣りは含んでいるからだ。
サケを釣るのは楽しく、これほど多くの釣り人を熱くする魚はいない。それゆえ熱くなり過ぎた釣り人の行き過ぎた行為を目の当たりにする機会が多いのも、この釣りの特徴である。ロープ張りの悪習はまだ各地に残る。場所によっては、平然と引っ掛けまがいの行為も目にする。ときにはイクラを抜き取られた雌ザケが、ごみと一緒に釣り場の片隅に横たわっている。彼がそんな光景を目の当たりにしたら、一体どう思うだろう。この若者の再出発を、釣りを通して少しでも後押ししたい一心で薦めたサケ釣りが、彼の心に再びダメージを与えることになりはしないか。私はそれが怖かった。
今、その港ではサケが釣れている。彼はサケを手にしただろうか。釣りを心から楽しめているだろうか。彼がサケの引きに耐えるとき以外、釣り場でその表情を歪めないことを今は願うばかりである。
(平田 克仁)