協力/北海道環境生活部自然環境局野生動物対策課ヒグマ対策室、公益財団法人知床財団
ヒグマの特徴
釣り人の人身事故状況
釣り人の被害は2023年5月に幌加内町朱鞠内湖で発生した死亡事故がまだ記憶に新しい。人身事故は道の調べで1962〜2023年(7月4日現在)までに151件(負傷者112人、死者58人)報告されており、クマの駆除・狩猟中の事故が多く、釣りは5件で、川が4件、湖1件(全被害者死亡)となっている。釣りと親和性が高いレジャーの山菜採りとキノコ採りが計39件(死者約17人)なので、相対的に釣り人の人身事故は少ないといえる。
なぜ山菜採りなどと比べると釣り人の事故は少ないのか。これはフィールドの違いが関係する。山菜採りなど、やぶや木で見通しが悪いという条件はヒトもヒグマも同じで、突発的なエンカウント(遭遇)による出会い頭のアタックを受けやすい。対して釣りは、渓流を例に挙げると多くの渓相は開けており、山林と比べると見通しが良く、不意な接触となる可能性が低いため、事故が少ないと考えられる。
繁殖期の雄や若グマに注意
食べ物を求めて活発に動き、遭遇率が高い冬眠明けの時季を過ぎ、7月に入るとヒグマは繁殖期真っ盛りのシーズンとなる。この時季のオスの成獣は気性が荒く、メスを探して広範囲を移動するため危険だ。
さらに母グマから独立した若グマが増える時季でもある。若グマはヒトに対する警戒心が薄く、好奇心が強いため、成獣に比べていたずらに接近してくることが多く、警戒を強めたいところだ。
8〜9月中旬は端境期で、食料を求めて動き回ることも多い。9月中旬〜11月は冬眠前の活動期で、体に脂肪を蓄えるために多くの食物を取り入れる。この時季の人身事故は春に匹敵するほど多くなっている。
ヒグマに出遭わないために
北海道庁環境生活部自然環境局野生動物対策課ヒグマ対策室の武田忠義主幹は、「ヒグマと出遭わないこと」が最重要だと語る。では、そのために釣り人がすべきこととは何か。
①目撃情報を確認
第1段階の対策は釣行前から始まる。各市町村、森林管理機関、所管警察署に確認を取るとタイムリーなヒグマ情報が得られる。釣り場周辺に立つヒグマ出没に関する看板も必ず確認すること。できれば複数人で入釣するのも重要で、車からなるべく離れず、あらかじめ逃げ場や逃げ道を想定しておくことも大切だ。
②気象条件を事前にチェック
釣行当日の気象のチェックは欠かせない。霧や雨の日は視認性が落ち、ヒグマもヒトも位置関係が測りにくい上に、雨はヒグマの嗅覚が鈍るとされる。釣りのゴールデンタイムであるまづめ時とヒグマの行動が活発な時間はおおむね一致しており、薄暗くなる時間帯でもあることから特に注意を払わなければいけない。
③周囲の「音」に気を配る
強風による葉鳴り音、雨音が大きいときはヒグマもヒトも行動音を聞き分けにくくなるため危険度が高い。滝やえん堤など水音が大きい場所も同じ理由で危険性が高いので、全方位への警戒を怠らず、音に対して常に気を配ろう。
④居場所を伝える
自分の居場所をヒグマに知らせることも重要だ。専門家は声、拍手、ホイッスル(笛)の3つに重きを置く。声は「おーい、おーい」と響きやすく発声しやすい言葉、拍手は柏手を打つように大きくするといい。この3つは開けた場所など要所要所で行うと効果が高い。ラジオや鈴は有効な手段ではあるが、鳴りっぱなしでは周囲の音を聞き分けにくくなるし、ラジオは思いのほか広範囲に響かないため、こちらも要所要所での使用を勧める。
⑤ヒグマの痕跡を確認したら即退散
見つけやすい痕跡としては足跡と糞の2つがある。砂地や泥地は足跡が残りやすいため要確認。見つけたらすぐに引き返そう。ヒグマの糞は握り拳2つほどの大きさで、木の実や植物繊維が目立ち、独特の甘酸っぱい臭いがする。タヌキの糞と似ているが、甲虫の破片が交じり、獣臭がきつく、ヒグマと比べて小さいことで区別できる。見つけにくいが木に残る痕跡にも目を向けたい。ヒグマは木を登ったり、マーキングで木に背中を擦り付ける。その際、爪痕や毛が木に残るため、こういった木を見つけたらすぐに立ち去ろう。
⑥ヒグマの食性を考えた釣り場選び
ヒグマの食性から見た釣り場選びも参考にしたい。ヒグマが好む食物は、春〜夏はミズバショウやフキ、エゾニュウ、ザゼンソウなど。これらが密生する場所はヒグマのテリトリーの可能性が高い。
8〜11月はカラフトマスやサケの遡上(そじょう)に伴い、それらを狙うヒグマが増えるため、河口海岸の危険度が高まる。公益財団法人知床財団によると、斜里町のとある河口海岸で過去にクーラーボックスごと魚を持って行かれた事案があり、ヒグマが「クーラーボックス=魚」と覚えてしまうと人身事故につながる恐れがある。同財団は「釣りの最中にヒグマが現れたら、魚を持って避難することを心がけてほしい」と話す(※ただし至近距離までヒグマが接近してやむを得ない場合は除く)。
釣り場で魚をさばき内臓などを捨てる行為はヒグマを寄せるため厳禁だ。海岸沿いではアザラシやイルカ、クジラ、渓流ではエゾシカやキツネの死骸があるとヒグマが近くにいることがあるので、死骸の近くで釣るのはナンセンス。
もしも出会ってしまったら
どれだけ意識を高く持ち、注意を払っていたとしても、神出鬼没なヒグマとの遭遇には「万が一」がある。もし出遭ってしまった時は決して焦らず、冷静な判断と行動が求められる。
もってのほかのNG行動
①背を向けて走って逃げる
②出会ってから大声を出す
③子グマに近づく
①、②はヒグマを興奮させたり、驚かせることになり、防衛本能が働き攻撃に移行する可能性がある。ただ②は逃げ場が全くなく、逃げ切れそうにない場合はその限りではない。③は子グマを守ろうとする母グマが攻撃を仕掛けてくる可能性が高くなる。これらは決して行わないよう肝に銘じてほしい。
ヒグマとの距離の違いによる対応
【ケース1】100m先にヒグマを見つけた場合
「人間に気付いていない」または「人間に気付いて注目しているが無視している」といったケースでは、そのまま静かにその場から離れることで危険を回避できる。
ゆっくり距離を詰めて来る場合はヒトだと認識できていない可能性があるので、ヒトの存在を認知させるため高い場所に上り腕を振るといい。ヒグマは視力のいい生き物ではないため、ゆっくりと大きく腕を振ろう。ヒグマと自身の間に障害物(倒木や岩)を挟むのも有効手だ。
これでヒグマは大抵逃げるが、もしとどまる場合は周囲に食い残しがあるなど何らかの理由があることが考えられる。この場合、ヒトがその場にとどまり続けると敵対行動と取られるため、目を離さず、ゆっくり後ずさりしながらヒグマと距離を取ろう。
【ケース2】距離が10〜20mまで縮まった場合
もしヒグマが接近をやめず、距離が10〜20mにとなった場合、多くは威嚇のために突進を仕掛けてくることがあるが、落ち着きを忘れてはいけない。ただ威嚇突進行動であった場合でも、超近距離まで迫って来たときはクマ撃退スプレーを目と鼻を狙って噴射する。噴射時は風上にいるのが理想だ。
噴射有効距離は3〜5m(距離は製品によって変わることがあるので要チェック)が目安。ヒグマを確認した時点でいつでも噴射できるようにストッパーを外しておこう。後生大事にナップザックなどに入れておくのは言語道断だ。
釣りの最中にヒグマに出遭う状況で想定されるのは「川の対岸にヒグマがいた」といったケース。ヒグマは水に濡れることを気にせずに川を渡ってくるので、例え対岸にいてもまったく安全ではない。つまり基本的な対応は前述した行動と何ら変わらないということだ。
【ケース3】もう逃げられない!という時は…
考えたくもないが、スプレー噴射が不発に終わった場合、防御姿勢を取るのが最善策だ。うつ伏せとなって腹部を守り、首の後ろに手を回して脊髄を守り致命傷をなんとか回避する。あまり釣りに持ち込む人はいないが、リュックやヘルメットを装備しておけばより生還の可能性が高まる。
終わりに
今回ヒグマに関するデータ提供や取材に応じていただいた道の野生動物対策課ヒグマ対策室の武田忠義主幹は、「実際にヒグマ出遭った時、冷静な行動を取ることは難しい。ただヒグマに対応するための知識を身に付け、いざというときを想定して行動をシミュレーションしておけば、命を守ることにつながります」と語る。今後もヒグマから命を守り、万全な対策と準備を整えた上でフィッシングライフを満喫してほしい。