プレゼントを枕元にそっと置き、それからベランダの戸を静かに開けて雪の上に足跡を付ける。サンタクロースの足跡だから、赤い長靴にちょうどいい少し大きめがいいかな。そして僕はビールを飲みながら酔っぱらいになり、小声で「メリークリスマス」とつぶやく。
「サンタクロースってホントにいるの?」娘たちに聞かれるたび、僕は決まって「いるさ」と答えてきた。15年も住んだ市営住宅だったからサンタクロースが来たらしい雰囲気を演出するのは簡単だったし、プレゼントは、その時までサオ袋に隠して置けば絶対に見つからない。15歳と12歳。「いつまで信じてるの」と言う同級生の現実的な言葉と「もしかしたら」と願う夢との狭間で揺れ動く娘たちは、次から次へと続く作り話に真顔になっていく。僕はうそがうまい。
札幌に越して来た6年前の聖夜が近づいた夜、僕はサンタクロースをやめる決心をした。マンションの3階には足跡を付ける場所がなく、想像力の乏しい僕は、作り話もすっかり底をついていた。
「ほんとはサンタクロースなんていないんだ。ごめんな」。僕は自分の口から出る真実に落胆し、娘たちは困惑してボロボロ涙を流して泣いた。知る必要のないことを知ることが大人になることだとしたらそれはあまりにも悲しく、もう二度とサンタクロースに戻れない僕は、ひどく後悔しながらビールを飲んだ。
多くの大人たちは、幸せが手の届くすぐ近くにあることを知っている。しかし、狡猾な知恵と欲望に支配されてきた心は錆びついた鉄の扉のように重く、自己を開放しようとしない。明日の夢より今日の米かもしれないが、愛する人のためならもう一度、いるはずのないサンタクロースになれるはずなんだ。
小学6年の朝、僕の枕元の靴下には、2本の鉛筆と歳の数だけのかりん糖が入っていた。僕は幸せだった。窓の外には、いるはずのない、親父が付けたサンタクロースの足跡が遠くまで続いていたから…。 Merry Christmas。
(菊地 保喜)