誰もが嫌がることを人に頼んでやってもらうとき、「NO」と言われないようにするための人種ごとの頼み方というのがあるそうだ。お願いするのがアメリカ人なら「これをやれば君はヒーローになれる」とけしかけ、ドイツ人なら「これが規則だから」とクソ真面目にいえばいいのだそう。そして日本人に対してはこう言えばいいのだとか。「大丈夫、みんなやってるから」。

 誰が考えたのかは知らないが、日頃から体裁や世間体を気にかけ、人と違ったことを嫌う、極東の小さな島国に住む民族が持つ横並び意識を皮肉交じりでユーモアに昇華するわざが巧みだ。核心を突いているだけに、小さな島国の住人である筆者は苦笑するしかない。

 みんなやっているから、という安堵感の上にあぐらをかくのは、小さな島国の釣りシーンでもおなじみである。ヤマベの解禁を心待ちにしていたのに、いいヤツはすっかり釣られた後で解禁初日の川がひっそりと静まり返っているのは、「解禁前の釣りなんてみんなやってるから」というよこしまな横並び意識なのか。橋の下のじめじめとした暗がりでこっそりルアーを投げるのは、「サクラマス釣って何が悪い。みんなやってるべや」と吐き捨てる陰気な釣り師だ。放流の効果が表れているマツカワも、釣り師のクーラーボックスを拝見すればリリースサイズがひしめいていたりする。彼らは「ハリ飲んじゃったから、リリースしてもきっと死んでしまう。みんなキープしてるしさ…」と言葉少なに卑屈な表情を浮かべ、そそくさとクーラーボックスのフタを閉めるのだ。

 大人ならひとまたぎできるドブ川をドキドキしながらもジャンプできない子供のように、始めの一歩を踏み出す勇気のない私は「リリースしましょうよ」というたったそれだけの言葉が出てこない。言葉でいっても無駄だと心のどこかであきらめているのか。いや、もしかしたら「解禁前の釣りなんて時代遅れだなあ」とか、「昨今はみんなヤマベじゃなくてショアサクラだけどねえ」「ハリを飲んでも高確率で生存するなんていまどき小学生でも知ってますよ」なんて、“そんなことをしてるのはあなただけですよ感”を言葉の端々に漂わせれば、小さな島国の釣り師たちはNOといわないだろうか。
(本紙・平田 克仁)