配給所から届いた木箱のもみがらの中には「雪の下」というリンゴが隠れ、一斗缶の厚めのビニール袋には「かりん糖」が詰め込まれていた。渡島と檜山の境目にあった鉱山は何もかもが雪に覆われ、正月を迎える準備はすっかり整っていた。

12月31日の朝はパンツまで取り替えて新しい年に備える。今日から明日へ続くだけの一日なのに、大みそかは特別らしい。テーブルの上の様子はいつもと変わりなかったが、石炭ストーブに置かれた鋳物のジンギスカン鍋が大みそかを物語っていた。

僕には実母の記憶がない。4歳のときに死んだのだから当たり前だが、「末期の胃ガンで助からない」と医者に告げられた父は、それでも母の命を守るために借金を重ねた。貧乏がそのせいだと知ったころ僕は、死にゆく者のために金をつぎ込んだ父の気持ちを理解できずにいた。

紅白歌合戦が終わり、新年を迎えるための雪かきに出た僕は、玄関に倒れて口から泡を吐きながら苦しむ父の姿を見た。傍らには「ネコいらず」の袋。病院などない山奥の鉱山には、社宅から3kmあまりの所に診療所があった。

怖かった。学生服はおろかノートすら満足に買えないほどの貧乏が自分のせいだと嘆き、苦しみを背負って生きる父が、自らの命を絶つことで家族に許しを請うたのならそれは間違いだ。愛する人への思いが招いた現実を後悔する必要などなく、命を絶つという行為で愛を否定してはならないはずだ。ひざまで積もった雪の中を走る。体ではなく、心が凍えていた。

静かな新年を迎えた診療所の老医師はしこたま酒を飲み、雪の中を歩ける状態ではなかった。おぶって家まで走る。身体中の血が沸騰したような感覚の中で、僕は生きることの意味を考え続けていた。

1月2日の朝、その年、初めて「あけましておめでとう」と父に言った。何か話そうとする父の言葉を聞く理由はなく「死ぬな!」と告げて、魚など釣れるはずがない冷たい川に向かった。

人は生きることに何を求めるのだろう。金で手に入るすべての快楽は虚構に過ぎず、人との比較でしか存在し得ない地位や名誉など、己の命が朽ちるときに何の意味を持つのだろうか。

すべての人が、心の中に幸せを見つけられる新しい年になりますように…。 (菊地 保喜)