魚には「本能」は備わっているが、「心」というものはないらしい。ある学者の研究によれば、大脳構造を持たない生物には、ヒトの「心」に相当するものはないという。だから「哺乳類に心はあっても魚類にはない」という結論にたどりつく。でも釣り人を翻弄するあの狡猾さや用心深さは「本能」だけで説明できるのか。釣るたびに悶え苦しむ表情をされても困るが、どうも私には魚に心があるような気がしてならない。

ところで以前、とある釣り場でワカサギを釣る中年の僧侶に出会った。そのとき、ムクムクと湧き上がる入道雲のようないたずら心を抑えきれず、こんな質問を投げかけてみた。「仏の道に精進するあなたが殺生をしてもいいのか?」。すると彼は平然としてこう言い放った。「うちは浄土真宗だからね。いいんだよ。まったく問題なし」。自ら掘った落とし穴に、自分自身がはまってしまった感じである。頭がツルっとしていることだけでは、さすがに宗派までは見抜けなかった。

賢明な読者はご存知だろうが、浄土真宗は仏教にしては珍しく肉食妻帯が許されている。なにしろ開祖の親鸞は、わが国における仏教史上初めて「私、結婚します!」と宣言し、そのうち「子供もできちゃいました!!」てな具合。だから釣りに対しても後ろめたさがない。

それでも魚が釣れるたびに「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念仏くらいは唱えているのかと思ったら、「お、来た来た、来たよおおぉーっ」などと俗世間的なセリフをお吐きになり、か弱いワカサギちゃんを次々と釣り上げる。まあ、いちいち念仏など唱えていたら、入れ食いのときは息が上がって仕方がないし、それこそ釣り人がオダブツしちゃったら目も当てられない。

そこへいくと私はどんな魚も水に帰すキャッチ&リリース派。だから常々「必ず帰してあげるから、その口をちょっとだけ開けて私の釣りバリをくわえてもらえないか」と彼らに語りかけるのだが、願いを聞き入れてくれる様子はまるでない。私の腕はさておき、もしかしたら学者のいうとおり、魚には本当に心がないのかしら。 (平田 克仁)