わずか1年の狂いもなく、一定の周期で木の大きく生長する森がある。

なんとも不思議な出来事で、森という自然の象徴に対してなにか“人為的なもの”が作用しているような違和感がある。が、実際はその逆。人のちっぽけな力など及ばない自然の偉大なワザが、森の木を大きく生長させているのである。

アメリカにあるというその森。そこには「17年ゼミ」が大量に生息している。長い年月を土の中で幼虫として過ごすこのセミは、産み落とされてから17年目を迎えたある夜、土の中から一斉に這い出してきて木に登って羽化し、17年後、再び土の中から這い出してくるであろう子孫を残して死んでゆく。土の中から出てくる数はなんと推定1兆匹。それは森にすむ他の生き物たちにとってかっこうのごちそうになり、食べ残された無数の死骸(しがい)は微生物などによって分解、有機物となって森の土壌(どじょう)に浸透する。その豊富な養分を吸い上げることで、この森の木はその年輪を17年に一度、大きく生長させるのだ。

さて、川釣り師にとっても森は身近で重要な存在。いくら魚が釣れようとも、コンクリートの護岸むき出し、家庭排水の油の浮く川であったなら、充実したひとときを過ごすのは難しい。ロケーションは重要なのである。そして川釣り師はまた「森が豊かな川もまた豊かである」ということを直感的に知っている。豊かな森の川は魚を含め多くの生き物たちを育み、どこも欠けていない食物連鎖の環をつなげるからだ。

森の肥沃(ひよく)な養分の流れ込む川水は最終的に海へ至るが、養分のデリバリーは上流から下流へ、といった一方通行ではない。自然の一部であるあのサケが、自然の流れに逆らって養分を汲み上げている。ご存知の通り、サケは数年の海洋生活を経て母川へ遡上(そじょう)。子孫を残してまもなく死ぬが、死骸は森の生き物たちの直接的あるいは間接的な食料となり、分解された養分は森の土壌にも染み込む。サケはキツネやクマなどによっても運ばれるから、その恵みは川の周囲にとどまらない。もしかしたらサケやマスが豊漁だった年、森の木々がいちだんと生長していると考えるのは、単なるロマンティシズムではないだろう。

あなたが好んで訪れる川で朽ち倒れた大木を見かけたなら、少しだけロッドを振る手を休め、年輪を観察してみてほしい。そこにはあなたの釣りを豊かにしてくれる「森の記憶」が刻まれているかもしれないのだから。
(平田 克仁)