若い頃は人生を無駄にしているようで眠るのがもったいなかった。結論の出ない〝生きる意味〟を夜通し考えながら酒をあおり、朝を迎えて無駄な時間を過ごしたと後悔する。そうやって積み重ねた1秒1秒をすべて覚えていたいのだが、昨日のこともすぐに忘れてしまい、思い出をつなぎ合わせてみると僕の人生は限りなく短い。

毎朝、愛犬のバリーとプリンを連れて散歩に出る。ボロマンションの脇は琴似発寒川。ヤマベ解禁日の朝もいつも通り、年老いた小さな犬を連れているはずの近所の老人が、土手の上に立っていた。「おはようございます」。記憶にすら残らないただの朝は、振り返れば空白の時間となり人生の短さを感じさせる。

ポプラの綿毛が雪のように降っていた。「とうとう逝ってしまった…」。老人は、すがりつくような目と絞り出すような声で言った。名前は知らない。「ワン、ワン」とカタカナで書いた通りにほえる小さな犬は、足腰がとても弱っていて、老人が家から抱いてきて土手に下ろすとその場でオシッコとウンチをする。

「そうですか、寂しいですね」。ポプラの綿毛より軽い言葉が口から出た。愛犬の死に直面した老人は、他人事にしか過ぎない僕の一言に新しい涙の一粒を目尻に浮かべた。

次の朝もその次の朝も、老人は一人ぼっちで土手に立っていた。3日目の朝は小雨。ポプラの綿毛は水分を含んで飛ぶ力もなく、だらしなく道にへばり付いていた。「落ちつきましたか」。これ以上ないほど軽薄な言葉は僕自身を落胆させ、僕は人の心の痛みを理解できないのだと知った。

休みの日の昼、ビールを買いに行った僕は、自転車に乗ってよろけながら坂を上って来る老人と出会った。「天国から見てますよ」と声をかける。「40年ぶりに乗ったからねぇ」とはにかみながら笑う老人を見送り、琴似発寒川の土手に座ってビールを飲む。どうでもいいはずの朝は、小さな犬の死と老人の悲しみによって記憶に刻まれ、僕の人生がほんの少し長くなった。

幸せは時とともに形を変え、はかなく消える。悲しみもまた時とともに形を変えるが、消えることはなく、薄いベールに包まれて心にしまい込まれる。今日もまた、ポプラの綿毛が雪のように降る。
(菊地 保喜)