強風で波頭の砕ける海を見ながらハンドルを握り、しんしんと粉雪の舞うアイスバーンの峠道を目的地に向かってひた走る。春はまだ砂粒ほどの気配も感じられず、車窓から見えるのは、色彩を失った無機質でふさぎがちな景色だけだ。

こんな景色が続けば続くほど、心がトーンダウンのスパイラルにからめとられ、なかなか浮揚のきっかけがつかめない。そんなとき、小さく萎えかけた私の心を癒してくれるものの1つが、車のカーステレオで聴く音楽である。

心に平穏を求めるとき、私が聴くのはエラ・フィッツジェラルドと相場が決まっている。ビリー・ホリデイやサラ・ヴォーンといった女性ジャズボーカルの巨人と並び称され、「ザ・ファーストレディ・オブ・ジャズ」と呼ばれたエラ。その容姿は、昨今のスレンダーな日本のディーバたちに比べるとかなりふくよかといっていい。

晩年は肥満が原因で糖尿病に苦しめらてもいる。だが、マイクを握ったエラが発する歌声には、現れては消えてゆく日本の歌姫など足元にも及ばない、切々と胸に訴えかける何かがある。その声は、元祖日本の歌姫である美空ひばりによく似ている。

曲は忘れたが以前、街頭スピーカーから流れるジャズをてっきりエラだと思っていたら、実は声の主は美空ひばりだったということがあった。誰もが認める国民的歌手の美空ひばり。昔、彼女の歌がなぜ人々の心をつかむのか、といった主旨の番組を観たことがある。

その中で言及されていたのが「1/fゆらぎ」である。彼女の声には、ヒトが心地よいと感じる「1/fゆらぎ」というものが含まれているのだそうだ。もしそうなら、エラの歌声にもきっと「1/fゆらぎ」が含まれているのではないか。

エラの歌うバラードは、荒れた灰色の海とか、どんよりとした鉛色の空とか、激しい雷雨といった、重苦しい情景がなぜかよく似合う。そういった情景の中を走りながらエラのバラードを聴くと、いつもホッとするのは例のゆらぎのせいだろうか。

理由はともかく、彼女の歌う霧雨のようにしっとりと濡れた1/fのバラードは、乾いた赤土の砂漠のような私の胸の奥に降り注ぎ、カラカラに乾いてひび割れた心をそっと優しく包んでくれるのは確かである。
(平田 克仁)