今春、私は「法事の達人」になった。1か月半ほどの間に法事が7件も立て込んだのだから無理もない。しかし、これだけ短期間に法事が集中すると、中には「あれ?」と思うような場面に出くわすことがある。
それはある通夜の席でのこと。どことなくブルドックを連想させる顔つきの坊さんがお経を上げ始めた。しかしすぐに咳き込みだし、まともにお経が上げられない。「南~無~阿~弥~ゲホゲホ、南~無~阿~ゲホゲホ、南~ゲホゲホ、無~ゲホゲホ、ゴホンッ!」とまあこんな感じなのだ。
「まあ坊さんも人間だし体調が悪いときもあるだろう」と温かく見守ったが、そのときふと通夜直前の光景を思い出した。「そういえばこの人、タバコをスパスパ吸ってた人じゃあ…」。そう、控え室で満足そうに紫煙をくゆらせていたのはほかでもない、この坊さんだったのだ。
結局、終始続いたゲホゲホ読経も「それでは皆さまゲホ、合掌をお願いしますゲホ」の一言で滞りまくって終了。このあとゲホゲホ坊主が決して少なくない額のお布施をもらうのかと思うと、遺影の中で微笑む故人も「金返せ!」と言い出しそうである。
とりあえずこれでひと段落という節目の儀式、納骨ではこんなことも。その日は風雨が強く、一言でいえば「嵐」と呼んでいい日和だった。
納骨はまず、祭壇のある床の間でお経を上げるところから始まった。そして坊さんを含め全員が仕出し料理を食べたあと、さあ本日のハイライトの納骨へ。ところがこの坊さん、いざ墓地へ行く段になり突然こんなことをいいだした。
「先ほど納骨のための読経も一緒に済ませておいたので、納骨はご親族さまでいつでもどうぞ」って、えっ? 一緒に済ませたってどーゆーこと? まさかお墓まで来ないつもり? まあ確かに外は嵐だし、その高価な袈裟が少し汚れるかもしれないけど…。
そんな私の心の声はもちろん届くわけもなく、坊さんはとっとと帰宅の途についた。そして釈然としない気持ちで見送る親族と私。もちろん釈然としなかったのは、柔和な笑顔が少しだけゆがんで見えた遺影の故人も同じだったに違いない。
(平田 克仁)