いつの頃からなのかは知らないが、古来、日本人には言葉にしなくても相手が何をいいたいのか、何をしてもらいたいのかが分かる「あうんの呼吸」をくみ取る能力がある。赤ん坊から大人へと成長していく過程で、周囲とコミュニケーションを交わすうちに自然と備わるこの後天的な察知能力は、外国人にはなかなか理解されないことが多い。しかし最近、日本人にもこの能力に欠ける人を見かける機会がずいぶんと増えた。

以前、とある居酒屋で行われた会社の忘年会で会を始めるに先立ち、お偉方の面々が挨拶していたときのこと。私はいかにも神妙な面持ちで腕組みをし、たまにうなずいたりしながら「じっくり聞き入ってます」感をかもし出していたのだが、その最中、和服姿のホール係の中年女性が料理を運んできた。するとこの女性、建前とはいえ挨拶に耳を傾ける私にこうしゃべりだしたのだ。

「えー、こちらは富山湾で捕れた旬の寒ブリの刺し身で、今の時季は脂がのっていてとろけるような舌触りが絶品です。このふろふき大根は、利尻昆布で出汁(だし)を取ったスープで煮て、秘伝の赤だし八丁みそをベースに作った練りみそをかけて…」。ちょ、ちょっとあなた、今この場がどんな状況か分かるよね。いちいち説明なんてしなくていいから、配膳したらサッサと引っ込んでほしいんだけど…と目で合図を送るのだが、まるで効き目がない。

結局、料理に大量のつばがかかるくらいの勢いでクドクドとしゃべり倒した挙げ句、「それではごゆっくりどうぞ」などとのたまう始末。「あうんの呼吸」を理解しない、現代日本にやたらと増えたKY(空気が読めない人)の典型である。

さて、釣りでは魚が「あうんの呼吸」で釣れてくれることなど滅多にない。「誰も釣れていないこの状況で自分が釣れば、かなり優越感に浸れそうだ」とか、「この最後の1キャストで釣れればかなり劇的だ」というような絶妙のタイミングで魚釣れることなど、ほぼ皆無といっていい。せいぜい不意に魚が掛かって「あっ!」と驚き、すぐにばれて「う〜ん」といいつつ頭を抱えるのが関の山である。魚に「あうんの呼吸」を求めるより、せっせと自分の腕を磨いた方がいい。
(本紙・平田 克仁)