伝統は重い。重いのは、それが積み重ねてきた歴史があるからだ。伝統を重んじる国といえば英国である。「築120年です」などと平気で言ってのける石造りの住宅や歴史的建造物の並ぶ光景は、ブラウン管を通しても「重い」。伝統を守るのがこの国の伝統と言ってもいい。

対して日本はどうかといえば、スマホを買い換えるくらいの気軽さで古いものを捨て、すぐに新しいものに飛びつきがちだ。ロンドンに留学したことのある夏目漱石は日本人のことを「想像力に欠ける国民」といって嘆いたという。100年先が想像できない国。次々と姿を変えてゆくわが国の水辺を見る思いだ。

釣り師のバイブル「釣魚大全」を書いたアイザック・ウォルトンの生まれ故郷の英国は、フライフィッシング発祥の地。だからこの国で釣りといえば、それはフライフィッシングを指す。歴史は数百年。元々が貴族の趣味ということはあるけれど、この国の釣りは伝統というフィルターを通して尊重され、アングラーの地位も高い。

フライフィッシングは明治初頭に日本へ上陸。愛好者は上流階級の一部で、庶民が楽しめるようになるのは1970年代に入ってからだ。両国におけるフライの伝統の重さでいうと「技巧すら超越した明鏡止水の超ベテラン VS なんちゃって釣り師」くらいの開きがある。

そんな背景があるからなのか、かの国の釣りはれっきとした文化と言えるだけの歴史があるにもかかわらず、日本ではフライフィッシングに限らず釣り全般が単なるレジャーという程度の認知度しかない。

文化とレジャー。もう語感からして重みが違う。もし日本の釣りが文化の地位まで上り詰めていたなら、釣り人の発言力は強く、釣り環境も良好に保てたかもしれない。しかし日本の釣りもジャンルによっては歴史が長く伝統はあるから、文化として認められる素地はありそうだ。

でも、いくら素地があってもマナー無視、ルール違反が横行しているようじゃあ文化もヘッタクレもない。これからは釣り人の行動の指針となる“よりどころ”が必要だ。

そこで、英国をはじめ西欧の精神的な伝統『ノブレス・オブリージュ(地位が高いほど果たすべき務めも大きい)』をよりどころにする、というのはどうだろうか。

ゴミの持ち帰りに務め、場所取りのロープを張らないように務め、引っ掛け釣りをしないように務め、禁漁区域でサオを出さないように務める。そして、尿意や便意を催したからといってその辺りの茂みでむやみにいたしてはならない。

ちょっとくらいチビってもトイレまでは我慢するべし。それが「釣り」という文化の継承者、すなわちわれわれ釣り人のノブレス・オブリージュなのだから。
(本紙・平田 克仁)