かつて、ヤマベの解禁日は川釣り師にとってビッグイベントだった。人気河川にはこの日を待ち焦がれた釣り師があふれ、出遅れようものなら車を止める場所すら見つからないほどの込みよう。人、人、人で、薄暗いうちから川の中を入れ替わり立ち替わり歩き回るものだから、ヤマベなど釣れやしない。それでも解禁日が待ち遠しくて仕方がなかった。

ある年の解禁日は日曜日だったが、川は静まり返っていた。その前の年も釣り人は少なく、川釣り人気が高かったころを知る僕には、このごろの川釣り事情は寂しい限りだ。

はっきり言って、最近の川釣りは面倒くさい。何十年も続くリリース論議はいまだに解決せず、釣れた魚の写真は発表するが場所は公開しない。その写真を見た初心者が、単純な動機で釣りたいと思っても、いったいどこに行けばいいのやら。「自然を守るため」とかいう大義名分があるのだから、おそらく正しいことに違いないが、どこかに自分一人が楽しみたいエゴが見え隠れする。

しかも、誰もがそう感じていながらそのことを言わない。声高に「それはおかしい」とでも叫ぼうものなら、ネットで誹謗(ひ ぼう)中傷されかねないし、掟破りの釣り師になるには相当の覚悟が必要だ。大型ブラウンをキープして自慢したらどう思われるのだろう。絶滅危惧種のイトウは胸を張って釣っていいのか。釣りをしない人たちからは、いったい釣り人はどう見えるのだろうか。

美しい新緑が目にまぶしく、川のせせらぎが優しい。どこからか聞こえる野鳥の鳴き声に包まれ、自然の懐に抱かれて釣りをしているはずの川釣り師の心は、実は猜疑心で荒廃し、同好の士ですら信じることができないほど荒れ果てている。

釣りは山菜採りと同じようなもの。山菜を採らない自然派はカタクリの花を美しいといい、極悪非道の僕は、カタクリのおひたしはおいしいという。ヤマベのパーマークが美しいという見方があれば、その模様が〝よだれ〟に直結する人もいる。本当に自然を守りたいならロッドを持って川に入らないことだ。
(菊地 保喜)